宇樹の母には、宇樹が物心ついた頃からすでに、妄想傾向と、妄想的不安やこだわりからくるホーディング(ため込み)、不眠傾向があった。宇樹がティーンエイジャーになる頃からは、宇樹に精神的に依存するように。その後、他の家族成員が母に対して距離をとり、家に寄りつかなくなるに従い、母は宇樹への依存傾向を強めていった。

同じ頃には、宇樹がものを捨てようとすると母が手がつけられないほど激怒するようになっていたうえに、宇樹の体調も悪化した(※1)ので手の施しようがなく、家は年々ゴミ屋敷化していった。

2011年の東日本大震災後、母の状態はさらに悪化し、毎日24時間家の中で宇樹についてまわって妄言をぶつけたり、半狂乱になって暴れたりするようになった。母と二人きりで暮らすようになっていた宇樹は他の家族成員に繰り返し助けを求めたが理解が得られず、耐えきれずに実家から逃げ出した。

宇樹が逃げ出したあと、母は数年間一人で暮らしていたが、精神症状の悪化から生活の自立度が低下、要介護状態となる。2017年頃からは、父が仕事を辞め、母をつきっきりで介護するようになった。2018年8月、いよいよ状況が限界に達したため、母は介護サービスつき高齢者住宅に入居させられた。

母の施設入居に際し、宇樹が自分と母との関係を振り返ったり、母の病気について素人なりに分析したりしたツイートのまとめはこちら。随時更新の可能性あり。
母が施設に入れられます

※1 発達障害の二次障害の側面と、家庭環境によるトラウマ性疾患の側面がある。早く家を出て母から解放されたかったが、家を出るには「働いて自活する」という建前が必要だった。宇樹の場合、発達障害の要素だけでも自活が難しかったのに、二次障害とトラウマ性疾患を負い、さらに母によりほぼ家に軟禁状態となっていたため、すべてが悪循環となっていた


信田さよ子氏の定義によると、宇樹は「墓守娘」に該当する。別の観点からは、「精神疾患のある親に育てられた子どもの立場の人」。

宇樹としては、母自身がもともと発達障害を持っていたのではないかと考えている。人生早期からの支援と理解が必要な人だったにも関わらず、長きにわたって無支援かつストレスフルな環境に苦しめられたため、もともとの自閉的傾向(思い込みの強さ、こだわり、不安の強さなど)が妄想傾向へと発展していったのではないだろうか。

※このテーマにはいくらでも書ける話題があるため、今後徐々に書き足していくか、どこかで作品として発表するなどを考えています。