依存的な毒母・和子はのちに強迫症と判明 ―『80年生まれ、佐藤愛』こぼれ話

私の30年ほどの半生をまとめた私小説『80年生まれ、佐藤愛』のこぼれ話、今回は母親の和子のその後について。

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主人公の佐藤愛に依存し、とことん追い詰める母の和子。彼女はいわゆる毒親や「墓守娘の母」だった。物語の中には入れ込めなかった、彼女に関する分析やその後の経緯を記しておく。

母に関する分析(実家時代)

私が彼女のことを「なんとなくおかしい」と感じるようになったのは私が10歳ぐらいの頃だった。物語の中にも書いてあるが、私が「いじめられるから学校に行きたくない」と訴えたら、彼女は私を慰める側に回るのではなく、自分の娘がいじめられているショックに打ちのめされて泣き出し、それから寝込んでしまったのだ。私はそのときから彼女を母親や年長の女性として便りにするのをやめた。

私が中学高校になる頃には彼女は日常的な小さな面倒や判断をすべて私に頼るようになった。納豆についているタレのパックがうまく開けられないから開けてくれとか、いま流行っている新しい感染症に私はかからないかしらみたいなことを、すべて私に頼る。まるで母親じゃなくて彼女のほうが娘のようだった。

私が大学ぐらいになってひきこもりがちになったら彼女は陶然として「夢みたい、このままずっと一緒に暮らそうよ」と言うので、私は本気でこの人はどこかおかしいと思った。なんというか、親として機能していない。自分は親なのだから親として機能しなければならないという自覚をまったく欠いている。そして自分の幸せのためなら自分の娘でさえいくらでも利用していいと思っている。

ダイヤルアップ接続のインターネットが普及しはじめた頃、私は自分のことや母のことについて「人格障害チェックリスト」みたいなものを検索しては試してみていた。それで母について当たりをつけたのは「依存性人格障害」だった。

そう当たりをつけてみたもののピンとこないまま母の不安定さは増していった。図書館司書の仕事に行けなくなり、休職。以前からあった不眠傾向がどんどんひどくなり、薬を飲んでも眠れないと言って処方薬依存のようになった。夜中の3時を過ぎても眠れず、私に「音を立てるな」と激怒し、翌日は午後になってから呂律のまわらない状態で起きてくる。

どんどん家事・生活能力を失って私への物理的な依存も強まる中、彼女はかねてからあった「ものをためこむ」傾向を強めていった。収納がものでいっぱいなのに考えなしにいろいろなものを買い(正確には彼女自身は出かけられないので私に買ってくるように強制する)、それを収納するためにまた収納を買う(組み立てるのは私)。とうてい家は人を呼べる状況ではなくなり、「人を呼べない」とぐずるから「では片づけよう」というと猛然と抵抗する。学生時代からの友人や元同僚と突然喧嘩しては交流を断ってしまうことも続いて、彼女が接するのはほとんど私だけになった。

そこへ東日本大震災が起き、彼女の精神状態は激烈に悪化した。ガソリンやトイレットペーパーやを買ってこい、放射能は大丈夫なのか、返事をしろなどと私に毎日延々数時間も絡み続け、いくら説明をしても指示に従っても「あんたは説明もしてくれない、返事もしてくれない、言うことを聞いてくれない」と現実に反した自論にこだわる。これはもう妄想や病的健忘の域に達していると思ったが、当時の私が妄想や病的健忘(あるいはそれに似たもの)が出る精神疾患として知っていたのは統合失調症と認知症だけだった。それらもやはり何かピンとこなかった。

お母さんがおかしい、助けてくれ、もう耐えられない、そのうち殺し合いになると、海外赴任中の父に助けを求めてもいっこうに意に介してくれないので私はそのうち実家から逃げ出し、現在の夫のところに身を寄せることになる。

母のその後

母は私が逃げ出したあと数年は自力で生活していた。

母となんとか関係性を修復したい、母に自分のしたことの重大さを自覚してほしいと虚しい努力をしていた私は何年かの間電話や手紙での交流をしていたが、彼女は「私が悪かったわ」みたいに殊勝なことを言い出す時期と、「やっぱり私は悪くない、おかしいのはあなた」みたいな揺り戻しの時期を繰り返した。最終的に何かのきっかけで彼女はやはり妄想的になって、いくら止めても私が仕事している時間帯に何十回と留守電を入れてくるようになった。私は絶望して彼女からの電話を着信拒否した。2014年ぐらいだったと思う。

父は私の家出以降私からの連絡に応答してくれなくなっていたので、状況がわからないままそこから何年かが経過した2017年の夏、突然父から電話があった。お母さんは自力生活が送れなくなったので、僕が仕事をやめて帰国し、1年ほどずっと家で介護している。いま彼女は検査入院中だ。誰がいつ死ぬかわからない状況だから一度顔を見せにきてくれないか。

慌てて6年ぶりの帰郷をし、病室の母を見ると骨と皮ほどに痩せており、「いまにも死にそうな90歳のおばあさん」のように見えた。痩せすぎで筋肉が落ちたために自立歩行もできない。彼女はまだ70手前だったのに。

なんでも、「胃液が上がってくる」とのことで(どう見ても唾液に見えたが、検査の結果のちにやはり唾液だったとわかった)ずっとゴミ箱とティッシュを持ってペッペペッペと唾を吐いていた。彼女はかねてから胃の不調に異常なほど敏感で、私はそれには彼女の父が手遅れの胃がんで亡くなったことが関わっていると思っていたが、そうした胃に関する心気妄想がひどくなっていたわけだ。

ケアチームによると「『胃液が上がってくる』のが止まってからでないと食事ができない」と言い張り、「胃液を止める」のに小一時間の「儀式」を必要とするし、この食べ物は胃液が出る出ないと言って食べなかったりと心気妄想由来の偏食が悪化したために十分な食事をとれなくなって痩せてしまったとのことだった。

彼女の痩せっぷりは本当にひどかった。履いているおむつ(どうせ「万一漏らしたときのために」と自ら希望して履いているのだろう)を人の目の前で降ろして病室内のおまるにまたがるのを見せつけられたとき(もうそういう羞恥心も失っているのだとショックだった)、本当にお尻の肉がぜんぜんなくなっていて私は言葉を失った。筋力が衰えすぎて自力で排便できなくなり、看護師さんに摘便してもらっているとのことだった。摘便……

彼女の言動はもう完全に「心が向こうに行ってしまった人」のもので、ほとんどコミュニケーションとして成り立っていない独り言みたいなものをずっとぶつぶつとこぼしていた。

用を足し終わって手を洗ったあと、喋りながら10分ほどもずっと手の指の一本一本を消毒している。以前から不潔恐怖みたいなところはあったが、はっきりと洗浄強迫(必要以上に手などを洗い続ける)が出てきていると思った。

そして、枕の位置が3ミリ違うみたいなことで父にものすごく絡む。彼女は緑内障が進行していてろくに目が見えないし、片手もしびれているし、ろくに歩けないし、そもそも昔からそうだったように自分で何かをこなそうという気持ちがないから、そのときメインに彼女を世話している人、以前なら私、今なら父に絡むことになるのだ。思う通りにならないと幼児のように地団駄を踏んで叫ぶ。ものの位置がぴったりこないというので不安になるのはやはり強迫症的だと思った。

私はそんな彼女と無理にハグさせられ(粘っこい声でねぇ〜〜お願いハグしてよと要求され、父の顔を助けを求めるつもりで見たら、してやれという顔をしていたので身体が凍ってしまい、断りきれなかった。彼は昔から私を母に向かって差し出すようなところがある)、幼少期から積み重なった嫌悪感と恐怖感で気が狂うかと思った。

病室にいたのは小一時間だったが私は憔悴しきってしまった。私は耐えきれなくなり、文字通り走って病室を逃げ出して(幸い今の母は歩けないので物理的に追ってこれないと思った)、父が駐車場まで降りてくるのを待った。

夫と暮らす街に戻ってきた夜、私は「ううーううーと大きな声をあげて、今まで見たこともないぐらいうなされていた」そうだ。そりゃあそれぐらいにもなるわ。私にはあの病室のシーンが新たにフレッシュなトラウマとなり、それからしばらくの間、雑踏の中で母に似た短髪の白髪頭の女性を見ると身体が凍ってしまうようになって、緊急的なトラウマ治療を受けなければならなくなった。

結局彼女はその1年後、介護サービスつきの高齢者向け住宅に入居した。嫌だ嫌だ家で暮らしたいと駄々をこねる母を、父はやっとのことで納得させたのだ。このときに彼女についた精神科の診断名は「妄想性障害」だった。統合失調症に近いグループの精神障害で、統合失調症ではないが妄想が出るものという感じのものなのだが、何かこれもしっくりこないのだった。

母についての分析(直近)

※以下は医師による診断が出たという話でも、心理士が診断を下したというわけでもなく、「お母さんは一般的に言って強迫症の人の特徴に当てはまるところがたくさんある」と指摘された私が、ああ、母はつまり強迫症だったんだなと理解した、という話だ。

その後2020年になって私はそれまでのトラウマ治療の先生と別の先生にかかるようになった。この先生のご専門がトラウマ治療と強迫症ということを知って、そういえば母にも強迫症みたいなところがあって… と話していたら…

なんと、ためこみ症は強迫症の関連疾患なのだそうだ。また、一般的に強迫症の人は自分の強迫観念を「馬鹿らしい」「本当は間違っている」と思っているが、適切な治療を受けないまま経過した重篤な強迫症の人では荒唐無稽な強迫観念を持つようになり、それへの「洞察を欠く」ために妄想を持ったように見えることから統合失調症などの妄想性疾患に誤診されるようになることもあると… 重い強迫症の場合、強迫観念で頭がいっぱいになってしまうため頭から情報がこぼれ落ちるようにして健忘が起きることがあり、認知症と混同されることもあると。

これは、これはまさに母ではないか。これで初めてぴったりきた。彼女のあの依存的で加害的で、ときに恥を知らないかのようなパーソナリティの根幹にあったのは強迫症的な要素だったのだ

先生によると、強迫症で妄想みたいなものや健忘が出るケースは皆ほとんど知らないので、強迫症が強迫症とされないまま的はずれな治療をされたりしていつの間にか極端に悪化してしまうことがあるそうだ。私も強迫症といえば自分の強迫観念にちゃんと疑いを持っているものとばかり思っていたし、健忘が起こるのも知らなかったので、まさか母の根幹にあったのが強迫症だったなどとは想像もしなかった。

強迫症はひとことで言えば、確信・確証を得て安心したい病気だ。

何でもかんでも人にやらせる、人に判断を頼る、というのは確認強迫の巻き込み症状と考えればすっきり説明がつく。彼女は人に頼りたい、甘えたい、楽をしたいというよりも、「信頼関係のある人に『儀式』を代行してもらうことでこれが確実に・きちんと・完全に成し遂げられたという確信を持ちたい」という感覚で私や父に依存していたのだ。その萌芽は思えばもう30年ほど前にはすでに出ていた。当時まさかそれが強迫症の症状だなんて誰も気づくことはなかったが、あれは強迫症の儀式行動への巻き込みだった。

ためこみ症が強迫症の関連疾患というのも納得がいく話で、彼女は自分の健康や衛生、安全に関するものを特に必死にためこもうとしていた。要するに自分の生きる上での不安を除き、自分の安全と健康が永続するという「確証を得たい」のだ。私たちは母の不安を除くための強迫的なためこみ行動への巻き込みにさらされていたわけだ。

母の「心気妄想」も、「胃の具合が悪くなって死ぬんじゃないか」という彼女の強迫観念が長年放置されることによって「洞察を欠いて」いったものだと思われる。

恐ろしいと思ったのは、強迫症も悪化すればあそこまで元の性格の美しさを失い、あろうことか危うく死にかねないところまで身体的健康をも損なうということだ。

あと、周囲の人にとっては彼らの言動は加害になるし、これが子どもに行われれば虐待、配偶者に行われれば精神的DVになる。

もっとずっとずっと早く、たとえば30年以上前にこの知識が私の家族に共有されていたなら、私たち家族はボロボロにならずに済んだ。こうした深い傷と悲しみが、いま私が心理教育に関して何か貢献したいと強く願うゆえんだ。

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