キズナアイ関連のあれこれを見ていて思ったこと

キズナアイだとか表現規制関連のあれこれを見ていて思ったこと。

私も何年か前は、フェミニストを名乗ってTwitterでさかんに議論していた。昼夜問わず、リアルの生活そっちのけで議論に没頭していたあの頃、私はTwitter依存症だったと思う。

当時の私が、女性、子ども、あるいはそれに似たものが搾取されている様子、またはそのように見える様子を目にする。すると私はほぼ脊髄反射で、Twitterでそれがいかに異常であるかを訴え始める。反対意見が来れば猛然と反論する。

なぜか。それらは私に、「いつかの私」が再び搾取されている感覚を、生々しい五感の感覚を伴って思い出させたからだ。たとえば、自分と全く無関係の二次元の誰かについてのニュースが、一分一秒じっと目にしているのも耐えられないほどに、私の心身を激しくかき乱し、圧倒するものになる。

「私は、この搾取の光景と、すべてを投げうって戦わねばならない。だって私はこの搾取の光景によって、死ぬほどの苦しみを味わうから」

こんなふうに、私にとってフェミニスト活動は、自分を「死の恐怖」から守るための本能的行動だった。敵に追い詰められた動物が必死に威嚇を行うような。

何かが自分に死の恐怖をもたらすならば、それに対してすべてを投げうって戦おうとするのは、生物としてごく普通の防衛反応だ… そんなふうに考えていて、私は気づいた。これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状そのものなのではないか。たとえば、フラッシュバックや過覚醒、逃走または闘争といったような。

だとしたら、私の行っていたフェミニスト活動は、社会や他者のためのものではない、私自身のためのものだ。私はまだ、生産的な社会的活動を行えるほどに心身が安定していないし、フェミニズムに関しての知識や理解も不十分だ…

そうはっきり悟ったときに、私は「フェミニスト」の立場から撤退した。このままでは、私自身、同じようにフェミニストの看板を背負う人たち、またその周辺にいるすべての人たちにとって、良いことがほとんどないと思ったからだ。そして、観念して本格的なトラウマ治療を受けるようになった。

こんな本も読んだ。

[kattene]{“image”:”https://images-fe.ssl-images-amazon.com/images/I/41DX5OWW0CL._SL160_.jpg”,”title”:”赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本”,”description”:”白川 美也子 (著)”,”sites”:[ {“color”:”orange”,”url”:”//af.moshimo.com/af/c/click?a_id=1386379&p_id=170&pc_id=185&pl_id=4062&url=http://www.amazon.co.jp/dp/4901030221″,”label”:”Amazon”,
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「サバイバーミッション」(トラウマから生き延びた人が、トラウマを抱えた他の人を助けることを自分の使命とすること)にとらわれないでほしいのです。
いつまでもそのことをやり続けているために、自分自身の人生に踏み出せないということが、よく起こります。
回復とは、被害者でも加害者でもなくなり、サバイバーでもなくなり、そういう一般的な名前ではくくれない「他の誰ともちがう、私でしかない私」になることです。
回復の過程において、あなたが誰かに過去のトラウマ体験を語ることだけが、誰かを救うメッセージになるのではありません。それを生き延びたあなたの身体の動きや声が、あなたの創る詩や奏でる音楽や描く絵が、人に何かを伝えます。
あなたが生きているだけで本当に十分なのです。

…再演が起きているサインは、自分が「被害者」になったり「加害者」になったりしていることなんだ。「あの人に○○された!」というのは被害者になっている。「だから○○してやった!」というのは加害者になっていることなんだ。大切なことは、被害者にも加害者にも、そしてそれを傍観する人にもならない、三角形の3つの角の真ん中にしっかりと立つことなんだよ

今の私は、サバイバーミッションにとらわれずに済んでいるだろうか。三角形の3つの角の真ん中に立てているだろうか。

わからない。私がいまこんな文章を書いているのは、Twitterで活動しているフェミニストの一部を見て、勝手に「被害者だったいつかの自分」を投影し、傲慢にも「なんとか助けられないものだろうか」と思っている部分が多分にあるからだ。

私が他人に勝手に「いつかの自分」を投影し、それを助けようともくろむこの行為は、やっぱり社会や他者のためではない、自分のためだ。かつての「フェミニスト」としての私にしろ、いまの私にしろ、その過程でたまたま一部が社会や他者のためになることもあったかもしれない。けれど、だとしたらその行為はあまりに犠牲とするものが多すぎたように思う。

いまの日本社会ではたぶん、女性にしろ男性にしろ、みなが人生のどこかで傷だらけになっていて、自分をなんとか保って今日を生きるのに必死だ。私たちをじわじわと襲う不安は、日を追うごとに巨大化していっているように思う。だからみんな、まるで因幡の白うさぎみたいにヒリヒリしていて、つい、Twitterでの誰かの言動に「すべてを投げうって戦う」ようなことをしてしまいがちなのだと思う。そして、多くのマイナスなことばかりが倍々に拡散し、累積していく。

残るのは、揶揄、冷笑、皮肉、中傷、煽動、挑発、再度の傷つき、偏見の強化、分断の進行、そして、諦め?

どうにかならないだろうか。1ミリでもいいから、打開策となるようなものがないだろうか。

ちょっと絶望しそうだけれど、私にはひとつだけ思い当たるものがある。

もし仮に、いまTwitterでの議論をやめられない人がいたとして、かつ、心のどこかで、どうにかしてやめたいとか、本当は苦しくてしかたがないとか、自分の力だけでは到底やめられないとか、思っているとして。そういう人が複数いるとして。もしかすると、自助グループ※みたいなことをやるといいのかもしれない。

※さまざまな困りごとの当事者が集まって互いに助け合うグループで、もともとはアルコールなどの依存症からの回復の文脈で発展してきたもの

これは、過去の「フェミニスト」だったときの私が、根本にPTSDがあり、その合併症としての依存症を抱えていたことからの発想だ。もし過去の私が「Twitter議論依存症当事者の会」とかを目にしていたら、藁にもすがる思いで参加したかもしれない。

現在は、パッと探したかぎりでは、同じネットでもネットゲーム依存の自助会しか見当たらなかったが、Twitterの刺激の強さとその仕組みはネットゲームと通ずるものがあるようなので、まずはそことつながってみるのもいいかもしれない。

自助グループ 一覧|特定非営利活動法人アスク https://www.ask.or.jp/article/%E4%BE%9D%E5%AD%98%E7%97%87%E3%81%A8%E3%81%AF/%E8%87%AA%E5%8A%A9%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97-%E4%B8%80%E8%A6%A7

Twitter議論依存症当事者の会、あったらいいなと言うならお前がやれ、と自分でも思う。しかし、本当に申し訳ないことに今の私には新しいことを始めるだけの余裕がない。モヤモヤしている誰かのなんらかのヒントや後押しになれば、と思って書き置きます。

 

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アヴェ・マリア、恵みに満ちたかた、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪人のために、いまも、死を迎えるときも、お祈りください。アーメン。
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