生産性とかクリエイティビティとか
クリエイティブな仕事とか、自分にしかできない仕事とか、生産性とか、この現代社会はやたら言い立てる。私なりの社会貢献とか、私もかなりしょっちゅう考えてしまうことがある。けれどもこの世界はたぶん、「生まれて、生きて、いつか死ぬ」という、「誰にでもできる、誰も注目しない、ちっぽけでつまらないルーティーン」の寄せ集めでしかない。
大事なのは、「自分の限界」以上のことには手を出さない、ということなのではないかと、最近思うようになった。そして、自分の限界以上のことに手を出さなかった結果、私の人生を、誰かが「ちっぽけでつまらない」とあざ笑ったとしても気にしないこと。
だって、「あなたにしかできない、クリエイティブ/生産的な仕事」などという価値観は、どう長くみつもってもここ数百年のイデオロギーなのだ。私以外の誰かが好き勝手に言っていることなのだ。そして私自身は、私が生まれて生きていつか死ぬという一見つまらないルーティーン自体を、神の与えたもうた奇跡であり喜びだと信じてるのだ。
たったここ数百年のイデオロギーに支配されるなんて、ちゃんちゃらおかしい。人間の歴史は数万年あるんだぞ。目立ったからってなんなのだ。反りの合わないタイプの人たちから「生産的ですね」なんて拍手されたからってなんなのだ。人間は人間である前に生き物なんだ、人からの称賛それ自体ではお腹はふくらまないんだぞ。社会や時代からの注目のあるなしと、私が幸せかどうかは、根源的にはまったく関係ない。
お金のために、あくまで手段として、目立つことや、「生産性のある人」のフリが必要であるならば、私だっていくらでもそうするだろう。だけど、目立つこと自体、他人に認めてもらうこと自体を目的にした結果、自分の人生を卑下してしまうようなもったないないことはすまい。もっともっと自由であろうと思う。時代の呪縛から。