過去の自分に、あげたい花を、あげたいだけあげて

ここしばらく調子が悪かった。症状の感じからどう考えても母に関する問題のひと段落が影響していたので、以前からトラウマ治療をしてもらっている先生にセッションをしてもらった。これを自分の中では「白魔道士の召喚」と呼んでいる。サイトのトップページのイラストで3人めにいる、ブルーの衣をまとった白魔道士は、この先生をイメージしている。

いつもながら、つくづくクリエイティブなセッション。大半が軽催眠状態でのイメージワークで、意識的に夢を見るようなもの。眠って見る夢も日常生活を送るうちに忘れていくのと同じで、こうしたイメージワークの内容もだんだん鮮明さが薄れていくので、記録に残しておく。

※今回は基本的に自分用の記録を目的に書くので、それぞれの治療がどんな治療かなどの解説はしない(そのうち書くかもしれないが、今そこまでの余裕がない)。

 

現在の状況を少し話し、「荷下ろしうつ病」みたいな感じね、という話のあと、ブレインスポッティング→ ホログラフィートーク→ EMDR。セッションではたいてい、いったん過去やイメージの世界に飛んでいってからまた「いま・ここ」に戻ってくるのだけど、いつも「いま・ここ」に戻ってきたところで急に不安や困りごとが現在的・現実的なものに変わるのが面白い。

ブレインスポッティング

母が施設に入ったことについての不安感を、身体のどこにどんなふうに感じているかを確かめる。ともかく腰が痛いのと、肩が緊張している(この問題で整形外科に通っている。PTさんが触ると確かに硬くなって動きが悪くなっている)。首根っこのあたりをぐいぐいぐいぐい斜め後ろに引っ張られているような感じ。魂がしっかり地についていなくて、いつもソワソワソワソワした感じ。

目の前で先生が立てた二本指をあちこちに動かし、私がそれを目で追う。いま感じている嫌な身体感覚が最も強まる位置を探す。その位置に指を保ってもらった状態で、そこを見つめながら身体感覚に集中。何か感覚やイメージなどが浮かんできたらポツポツ話す。

急にふくらはぎの張りが気になってくる。小学生の頃、初めて塾に行った日にすごくふくらはぎが痛くなって、たぶん緊張して無意識にふんばっていたからだという話になったことを思い出す。その気づきとともにまた先生の指を見つめながら身体感覚に集中する。「引き剥がされる。私と良くも悪くもずっと共にあったものが私から引き剥がされそうになっている。だからふんばっている。ふんばっていないと持ちこたえられない」

よくふんばって持ちこたえてきたね、とふくらはぎに言ってあげて、と言われる。心の中でふくらはぎにそのとおり語りかけていると、だんだん痛みやこわばりが楽になって呼吸が深くなってきていることに気づく。同時に、小6の頃に突然ポックリ死んでしまった、大好きな父方の祖父が火葬されているときに見ていた、火葬場の煙突から上がっている煙の映像が浮かんでくる。どう思ったか。ああ、おじいちゃん死んじゃったんだな、向こうに行っちゃったんだな、と思った。

そこで突然、数日前に母方の祖母が亡くなったことを報告したくなる。「人はみないつか死ぬわけだけれど、お母様のお母様が亡くなるということは、お母様もいつか亡くなるということを突きつけられることであって、その予期不安を刺激するものでもあるわよね。お母様は施設に入るということで、ある意味で社会的な死を迎えた。そして結局はいつか亡くなる」と言われる。「弔いたいのかもしれない」と私は答える。

母のことを弔いたいのに、もう彼女は父(彼女の夫)のもとに戻っていってしまっていて、私からはもう手出しをすべきでないことはわかっている。けれど、このままではなんだか、現実生活に戻っていける気がしない。どうしたらいいのかわからない。

このあたりはよく覚えていないけれど、確かもう一度最初の感覚に戻るように言われて、何かの時点でふと、「母を弔いたかったのではなく、母とずっと共にあった私が死んでいくのを弔いたいのかもしれない」と言ったら、そこから涙が止まらなくなる。「よくここまで持ちこたえてきたね、とその自分に言ってあげて。そして、その自分に、あげたい花を、あげたいだけあげて」と先生が言って、よけいに涙の量が増える。両手に抱えきれないほどの花と、甘くて優しい香り、そして彼岸にあるような一面の花畑の映像で、自分の中が満たされる。

しゃくりあげるほど泣いていると、「じゃあ、次にそのまったく同じ花を、お母様にもあげて」と先生が言い、先生のその促しのクリエイティブさにハッとするほど打たれつつ、そうか、これだこれだ、私はまさにこういうことがしたかったんだ、と思う。強烈に癒やされていく感覚にいよいよ涙は止まらない。やせ衰えて目の据わった母に花を渡すと、母はパッと「普通のおばあちゃん」に姿を変えた。まるで、「ハウルの動く城」に出てくる悪い魔女が、魔力を奪われて普通の無害な(?)おばあちゃんに姿を変えたかのようだ。そして、花の美しさに目を輝かせている。

「母はもう私に悪さをしない、と感じます」という言葉が出てくる。

最初の身体感覚に戻るように言われる。不快な身体感覚は特に何もない。リラックスして、呼吸が深くなっている。現実に戻ってきた感じ。しかしそこで、仕事や勉強をどうしていったらいいのか、何を目指していったらいいのかがわからない、という声が自分の内側から聞こえる。それを伝えると、じゃあホログラフィートークをやろう、ということになる。

ホログラフィートーク

やはり、不安を感じているときの不快な身体感覚を身体のどこに感じるか、を探すことから始める。胸の中央。次に、その胸の中央に手を当てて、その不快感がどんな色で、どんな形かを探る。青緑で、綿あめみたい。「どうしたの?」と声をかけるように言われる。青緑の塊は、「こわい」と言っている。「こわいんだね」と声をかけるように言われる。「気づいてくれた?」「気づいたよ」とやりとりをしていると、塊は小さな女の子になった。

女の子の姿は、以前読んだこの本の「ウニヒピリ」にそっくり。ウニヒピリはハワイ発の(自己啓発)思想である「ホ・オポノポノ」で使う概念だが、メンタルヘルス系の言葉でいえばインナーチャイルドとほぼ同じだ。

「あなたはどうしたいの? 何がしたいの?」と声をかけるように言われる。その子は答えず、ニコニコしながら魔法の杖をぶん回している。「あなたはその魔法の杖をぶん回すことで何がしたいの?」と声をかけるように言われる。その子は答えないが、相変わらず一生懸命魔法の杖をぶん回しているのを見ていて、「何かやらなきゃいけないことがあるみたい」と私は先生に報告する。

あなたが生まれたその瞬間まで連れていって、と頼むように言われる。どんどん時間をさかのぼって、彼岸に続いているらしき光のトンネルの中をワープしたら、なんだかすごく癒やされる感じで涙が止まらない(※)。そのまま飛んでいたら、ぶっとびすぎて宇宙まで行ってしまった。仕方ないので、「宇宙まで行ってしまいました」と報告する。

※なぜあんなにも癒やされたのか、セッション中はわからなかったが、これを書きながら考えていて、ああ、「現世の母から解放されるプロセス」を体感したからだ、と思い当たった。逆に言えば、私の魂は母のもとに生まれることで本当に苦しみ続けていたということだ。

「あなたは何がしたいの?」ともう一度尋ねるように言われる。彼女は答えない。というか、まず姿が見えない。宇宙の中に溶け込んでいる。「答えません。ただ、なんだか寂しさみたいなものがあるみたい」「寂しいんだね、と言ってあげて」「寂しいんだね」

もう一度訪ねてみる。「あなたは人に生まれることで何がしたいの?」「人とふれあいたい」。涙がまた出てくる。「そう、人とふれあいたいんだね。存分にふれあっていいんだよ。あなたのしたいようにしていいんだよ」その子が、リラックスした空気の中でたくさんの人に囲まれて楽しそうに遊んでいるイメージが伝わってくる。涙が止まらない。「ずっと寂しかった、ずっと怖かった」もう私の声なのかその子の声なのかわからない。

その子が中学生ぐらいに成長する。「あなたは何がしたいの?」「青春したい。たくさん遊びたい、趣味もしたい、恋愛もしたい」「そう、青春したいんだね、遊びたいんだね、趣味も恋愛もしたいんだね。あなたのしたいようにしていいんだよ。なんでもしちゃっていいんだよ。自由にやっていいんだよ」BGMに流れている自然音の中からカモメの鳴き声が際立って聞こえてきて、「海辺のデートとか」と口をついて出てくる。「海辺のデートも素敵ね、どんな人と行くの」「中学とか高校の先輩と、制服で」「いいね、先輩と制服で海辺のデートもしていいんだよ」「ギャルにもなりたかったな」「いいよ、ギャルになるのもいいね。ギャルにもなっていいんだよ」

その子が大学生ぐらいになる。大学のカフェで、昔の私のガリガリで短髪の姿ではなく、適度に肉づきがあって髪の長い、リラックスして赤い口紅をした私が、友達と談笑している。「その子はなんて言ってる?」「幸せ、って言ってます」 私自身が多幸感に溢れている。「私に青春がなかったことの喪失感は、一生埋まらないものと思っていました。埋めること、できるんですね」と思わず感想をもらす。「そしたら、その子と今のあなたが完全に同化するまで、浸透するまで、納得するまでその幸せを味わって」

「納得しました」「いま身体はどんな感じ?」「なんだかピシッとしました。地に足がついて、現実に戻ってきた感じ。すごくリラックスしてる。ただ、まだ胸の奥に何かある」「その何かはどんな様子でなんて言ってる?」「震えてる。怖いって言ってる」

「怖いんだね」「気づいた?」と、胸の奥の塊とのやりとりが続く。「卵からヒヨコが孵るときに、ちょっとヒビが入ったり、動いたりするでしょ。光を当てると、隙間から光が漏れる。そんな感じです。すごく綺麗。生命の神秘って感じ」と先生に報告する。「そうね、その通りね」 新しい自分がこれから生まれようとしていて、バーンと殻をぶち破って外に出ていきたいんだけど、その気持ちは止められないんだけど、でも怖い、だから震えてる。

小鳥は生まれたときに最初に見た動くものを親と思い込んでついてまわるんだっけな、と思った瞬間に、パッとオットの顔が思い浮かぶ。それを報告すると、「あなたにとって初めてまともな愛着関係を築けた相手がオットさんだものね、素敵ね」と言われる。

いまの身体の感覚を確かめる。身体の中央にちゃんと芯が通った感じ。そのことで足からも腰からも力が抜けている。最初の嫌な感じは何もない。

「もしかすると、引越ししたぐらいから既に最初の身体の嫌な感じは少しずつあったかもしれない」と報告する。いままでの過去から離れて、自分がしっかり新しい人生を歩み始めているということが、嬉しいのに怖い。ここから自分で歩いていく以外に選択肢はないのに、でもそんなこと今までやったことがないから怖い。そんな感じだったんだ。

そこで急に、「私はお金を使いすぎなのではあるまいか」という不安がやってくる。やはり、ひととおり過去を遡り終わると急に現在の現実的な不安が浮かんでくるところが面白い。報告すると、EMDRやってみましょうということになる。

EMDR

浪費の問題はけっこう根が深くて、今回のうちにやりきるのは時間的に難しいし、いったん本当に困窮しないと取り組むことは難しいから、今回はEMDRで当面の脱感作のみやっておく、とのこと。

本当はもっとお金を貯めたいのに、ついいつも「これは予定外だけど非常時だからしょうがない」みたいな感じで、予定よりも少しずつ多く使いすぎてしまう。「優先順位をつけて、最優先にするべきことにだけお金を使うように訓練していくしかないわね」と、指を左右に振りながら先生が言う。

「本当はもっと昔から訓練していくようなことなんだけど、今まで生活のうち70〜80%はお母さんのことに必死に対応することで占められていたんだから、今までできていないのもしょうがないわね。これから初めてやっていかなきゃならない」あ、なるほど。そうだろうなとは思ってたけどやっぱりあいつのせいか。突然腹が立ってくる。

「母のことが根本にあることでさいなまれる不安や苦しみのコーピングのために、今までそうとうお金使ってきた。このセッションもそう。ああ? お前のせいで俺はどれだけ金使ってきたと思うんだゴルァ? って感じです」 そうよねぇ、と笑う先生。

いつも「非常事態」だった。こういう必死のコーピングはいつまで続くのかなって不安になる。「少しずつ実践しながら改善していくしかないわね」「そうなんでしょうねー」「まあ状況聞いてると今は自己投資の期間で、今使ったお金はそのうち返ってきそうな感じにも思うけど」「まあ不安だけど少しずつやっていくしかないですね」

 

というわけでセッション終了。私は何ヶ月かぶりにものすごい熟睡をして、それからはなんだか甘くて冷たくて柔らかいものばっかり食べたくて、冷蔵庫の中で古くなりつつあったいただきもののメロンを半玉ぐらいもりもり食べきってしまった。セッションの余韻を味わいたくて、居間でいつもなんとなくつけるテレビもつけず、黙々と。メロンの果汁がまさに甘露という感じで身体に沁みわたった。

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