佐藤愛のその後 ―『80年生まれ、佐藤愛』こぼれ話

私小説『80年生まれ、佐藤愛』のこぼれ話。今回は主人公の佐藤愛(≒宇樹)のその後について。

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2018年まで

『80年生まれ、佐藤愛』の結末まででは、主人公の愛に具体的な助け手は現れていない。しかし現実には宇樹はあのとき既に助け手(現在の夫)に出会っており、あの結末場面の1週間後に彼のもとに身を寄せた。半年後に彼と結婚し、今に至る。

この結婚生活の2018年ぐらいまでの状況は以下の拙著に詳しい。宇樹は夫のところに身を寄せた1年ほどあとから震災関連のPTSDに苦しむようになり、駆け込んだ心療内科で発達障害の確定診断を受けた。そこから支援を受けるようになり、障害年金を受給しはじめた。夫との生活の中で幾度もトラウマ性の症状を暴発させて離婚危機を起こし、2018年に障害年金を使って本格的にトラウマの専門治療を受けることになる。

2019年以降

以下は、まとめて記すのが初めてかもしれない経緯。

上記の本が出た2019年頃までには、記憶のある範囲(つまり3歳ぐらいまでの乳幼児期を除く範囲)でのトラウマはおおかた処理できていた。自分で自分にトラウマ治療を施すという荒技もこの頃には習得していた。

※トラウマ治療はきちんと研修を受けた精神科医・臨床心理士・公認心理師などの資格と能力のある専門家のもとで進めてください。私のやりかたは特殊なもので、普通の人がやると非常に危険です

しかし、それでも人間関係が不安定、過緊張があってひどく疲れやすい、悪夢にうなされる、過剰な完璧主義で仕事の質・量の調整ができないなどの症状はやまない。

まだ何かあるらしい。困り果てて改めて遠隔でトラウマの専門治療ができる先生を探し、かかりはじめたのが2020年春。

その先生は語り口が淡々としていて、どちらかというと知識ベースで心理教育を施してくれるような感じの「研究者」感のある人。これが私にぴったりはまった。私は彼のクライエントでありつつ彼に師事する学生のような感じで、トラウマとは何かとか、人間の脳神経系のシステムについて英語の論文まで読んだりして、下手するとそのへんの専門家も知らないような最新の知識を学んでいった。

そんな中で私が学んだのが、「記憶がない時代にもトラウマは存在する。それを早期トラウマ(Early Trauma, ET)と言う。いまのトラウマ治療は早期トラウマにもアプローチできるようになっている」という事実だ。

※この本は基本的には専門家が読むもの。説明されている具体的な技法を素人が試してはいけません。患者や周囲の人が読むときにはあくまで心理教育の本としてお読みください

私はこの事実を知ったときに目からウロコが落ちたような気分だった。ある子どもにとって3歳以後の生育環境が加害的である場合、その加害的な要素が本人が記憶を持てる発達段階になった瞬間に急に出てくるなどということは逆に不自然だ。その子は生まれたときから、あるいは生まれる前、親世代から加害的だったり歪んでいたりする環境の中にあったと考えたほうが自然だ。

そして、脳や自律神経系が大きく発達し、人間としての心身調整の基盤ができていくのは3歳以前。だからこの時代に負ったトラウマこそが最も子どもの心身にとって害が大きいし、アプローチすべきものとなる。

私が記憶にある範囲のトラウマについてアプローチしていた2018年ぐらいまでは、まだ少なくとも世間では「EMDRは記憶にある範囲のトラウマにしかアプローチできない」とされていた。しかし、EMDRやヒトの脳神経系についての研究は進み続けていて、2020年にはごく一部の先端的な専門家はEMDRで早期トラウマにアプローチするようになっていたのだ。

私は先生の指導下で自分の早期トラウマへのアプローチを開始した。早期トラウマにももちろんフラッシュバックがあるが、早期トラウマのフラッシュバックの場合は本人がそのトラウマを受けた時代に言葉を持っていなかったし記憶もしていない。このため、早期トラウマのフラッシュバックは、突然日常の中に侵入的に現れる、言語化できない不快な身体感覚や身体の過緊張、気分変調としてしか出ないことが多いと聞かされた。ゆえに早期トラウマを抱えた患者は難治性のほかの精神疾患に誤診されることも多いと。また、「悪夢は寝て体験するフラッシュバックである」とも。

であるならば、私は毎日をフラッシュバックのオンパレードの中で過ごしていたことになるし、生まれつきと思っていた発達障害の症状らしきもの(の一部)も早期トラウマの影響である可能性がある。

自分にどんどんトラウマ治療を施す中で、私は多くの気づきを得た。

・私は母から性的虐待も受けてきた(であろう)。
・私と母は私が赤ん坊の頃から母娘の役割が逆転していた。私は母の人生を幸せにさせる役割を背負わされてきた。
・私は家族からネグレクトされていた。少なくとも私のアタッチメントを健全に完成させるような形での適切な即応は受けないできた。
・私の自己評価の芯に深く刺さっている恥の感覚は、周囲からのネグレクトや、状況に対する責任の押しつけの結果である。
・加害者の苦しみにまで共感して背負い込み、苦しむのは、乳幼児期から加害的な環境にさらされてきた結果である。
・叱責や恫喝を受けた瞬間に相手が大事な相手かのように思え、つい従順になってしまったり、周囲から嫌われないかビクビクして自ら相手の気に入るような言動をしようとしたりするのは、周囲からの支配の結果である。
・私は単に誰かに助けてほしかったし、実際に不足していたのは助けだった。

治療が進むにつれて私の悪夢の頻度と程度は軽減していった。「心身がリラックスしている感覚とはこういうことなのか」という勘所もわかるようになってきた。これと同時にヨガや瞑想、疲れを感じたときの休憩など、セルフケアの習慣も続くようになってきた。自分が悪かったことに対して罪悪感にさいなまれるでもなく過不足なく反省ができるようになった。

誰かが誰かに加害されたなど、何かフラッシュバックのトリガーになるようなことを見聞きするとすぐに自律神経が緊張状態に入ってそれをオフにできず、いつも疲労困憊に至っていたのだが、つい最近突然、嫌な身体感覚や圧倒され感から自分を解放する勘所がわかるようになり(トラウマ治療のセッション中に癒やされて楽になった瞬間のイメージを使えばいい)、自律神経の状態が劇的に安定した。

自分の「こうすべき」という目標を先に立ててそれに自分を合わせていくのではなくて、目標のほうを自分に合わせるのだ、そうしても死なないのだ(!)という単純なことにも気づいた。

格段に生きるのが楽になり、今まで自分になかった「日常」というものが初めて手に入りつつあるような感じだ。

実家で30年。助けられ、実家を離れて10年。私はここでようやく、自分の脳神経系のあちこちに凍りついていたままだった傷をおおかた処理して、静かな日々を送れるようになりつつある。

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